◆サイパン旅行2日目 5月1日(火) 

9:50頃
ラストコマンドポスト(最後の司令部跡)に到着。バンザイクリフロードを少し戻ったところ、マッピ山の崖下にある、旧日本軍のトーチカ跡です。

トーチカ前の広場には、数々の錆びた砲台や戦車が置かれています。ただしこれは、当時そのまま、ではなく、展示用にサイパン各地からかき集めてきたもののようですが。。


なんだかうっすら迷彩色で塗られていますが、これは05年に天皇陛下がバンザイクリフ慰霊のためサイパンを訪問した際、ここにも天皇陛下が訪れるから、とわざわざ接待ペイントしたのだそう
…って、そんな必要あるか


階段の先にあるのが、洞窟状の窪みをコンクリートで固めて造られた、旧日本軍のトーチカ。

トーチカ内にあいたこの大きな穴は、アメリカ軍の砲撃によるものだそう

この砲撃を受け、中にいた人は全員……サイパン最終激戦の凄まじさが伝わります。だからトーチカ内に水と花が供えられているんですね


トーチカの中だけではありません。広場周辺には、日本政府が建立した「中部太平洋戦没者の碑」をはじめ、数々の慰霊碑があります


おきなわの塔。サイパンへの移住者の多くは、沖縄の人
(約9,500人)でした。

韓国人

慰霊碑。サイパン移住の日本人の中には、
当時占領下にあった韓国の人
(約700人)も含まれていました。
◆実は「ラストコマンドポスト」は………
1944年7月6日、当時「地獄谷」と呼ばれていた、現在のサン・ロケ地区
(ここよりもっと南、アクアリゾートとマリアナリゾートの間辺り)にあった司令部で、日本軍の指揮官たちが、兵士たちの前で玉砕の手本を示して自決します。そして翌7日、日本軍は玉砕覚悟の総攻撃を決行するのですが、約3,000名の日本軍は全滅してしまいます。。そして9日、米軍はサイパン占領を宣言します。
つまり、司令官たちが自決した「最後の司令部」は、ココではなくサン・ロケ地区にあるんですね。だから、実は「ラストコマンドポスト」は最後の「司令部」ではなく、最後の戦いを見守った「見張り塔
(トーチカ)」なんだそうです。
ココで司令官たちが自決した、と誤認識されたまま定着してしまったみたいです。。
ラストコマンドポストの映像はコチラ
Marcos Valle / Mais do que Valsa