会話中のクローズアップを指すTV用語に由来するバンド名からは
"頭でモノを言う"頭脳派グループを連想させますが
実際もまた、そのイメージまんまにスタイルをどんどん進化/深化させてきた
インテリロックバンド=トーキング・ヘッズ Talking Heads
アートスクール時代からの友人だったデヴィッド・バーン(g,vo)とクリス・フランツ(ds)が
クリスの彼女で同じスクール仲間だったティナ・ウェイマス(b)にベースを仕込み
75年に結成されたトーキング・ヘッズは、パンクのメッカ=CBGBでのライヴ活動を経て
77年1月、シングル「Love→Building on Fire」でデビュー
そして、ハーバード大学出身〜元モダン・ラヴァーズという
このインテリバンドにピッタリすぎる、華麗なる経歴のジェリー・ハリスン(kb)が加入
77年9月、初期ヘッズの名刺的シングル「Psycho Killer」[米92位]を含む
1st
『Talking Heads:77』[米97位/英60位]を発表


トーキング・ヘッズは、業界からの注目度がより高かったバンドだったのですが
そんなヘッズにいち早く食いついたのが、鬼才ブライアン・イーノ
そしてそんなイーノに早速プロデュース依頼をしたヘッズは
78年07月 2nd
『More Songs About Building And Food』[米29位/英21位]
79年08月 3rd
『Fear Of Music』[米21位/英33位]
80年10月 4th
『Remain In Light』[米19位/英21位]
…と立て続けに発表
デヴィッド・バーン×ブライアン・イーノ [09/2/2の記事]
イーノが携わることで、ヘッズはその音楽性をグングン高めていくわけですが
その最初の到達点=ロック×アフロファンクが融合した『Remain In Light』の音を再現べく
80-81年のツアーから、ヘッズは人種混合ミュージシャンを多数加えてビッグバンド化
特に…ティナには到底出せなかったバスタ・ジョーンズ(b)のクロいグルーヴや
ヘッズのメンバー以上に"トーキング"するエイドリアン・ブリュー(g)の
饒舌なギタープレイ、スゴすぎです。
ちなみにブリューはこの時期、ティナの独断でヘッズ加入を誘われていたらしい
結局ブリューは、81年キング・クリムゾン再結成に参加するわけですが
バーンのパクリとしか思えないヴォーカルも兼ねる
まさに"トーキング・クリムゾン"なブリューの立ち位置も
"頭でっかち"なダンスグルーヴでもって再生したクリムゾンの音楽性も
なんとなくトーキング・ヘッズとカブります。
もしブリューがヘッズに加入していたら…と考えるとちょっとワクワクしますが
これだけキャラがカブる主役級の加入をバーンはゼッタイOKしなかっただろうなぁ…



またその『Remain In Righr』ツアー終了後の81年
イーノとバーンの蜜月関係から生まれた、メンバー間の緊張関係を緩和すべく
メンバーはそれぞれソロ活動を展開
そして、そのブランクを埋めるべくリリースされた
82年3月にリリースされたライヴアーカイヴ
『The Name Of This Band Is Talking Heads』[米31位]を経て
そのディスク2に収録された、ビッグバンドフォーマットでもって
83年3月、イーノ抜きでイーノ志向を昇華したセルフプロデュース作
かつグループ初のミリオンヒット
を記録することになる
5th
『Speaking In Tongues』[米15位/英21位]を発表
『Remain In Light』以前からのポップ/ソウル志向に
『Remain In Light』以降で得たポリリズムなリズムアンサンブルが加味された
80sインチキブルーアイドソウルの極み
で84年10月、続いてリリースされたのは、前年のツアーを収めた
またまたライヴアルバム
『Stop Making Sense』[米31位]
日本の能をイメージしたという、バーンのブッカブカのビッグスーツとか
バーンの弾き語り「Psycho Killer」にはじまり、徐々にメンバーが増えていって
ビッグバンドによる「Burning Down The House」でクライマックス迎える展開とか
のちに『羊たちの沈黙』[91年]で名を馳せるジョナサン・デミ監督が撮った
同名ライヴ映画のイメージがあまりに濃すぎる、重要作。
でも実は…"頭でモノを言う"バンド=トーキング・ヘッズは
「考えるのをやめろ
(Stop Making Sense)」というタイトルとおり
"バンド"としてはこのアルバムで終焉していたのかもしれません…


こうして『Speaking In Tongues』とそのライヴ『Stop Making Sense』で
イーノ路線を自ら総括してみせたヘッズの次の一手は…原点回帰
85年06月発表の、6th
『Little Creatures』[米20位/英10位]で
ワールドミュージックからルーツミュージックへ回帰
そして4人のメンバーだけによるシンプルなアンサンブルへ回帰したものの
86年10月発表の、7th
『True Stories』[米28位/英7位]が
バーン監督による同名映画の劇中歌を
ヘッズが演奏した作品だったことからもわかるとおり
イーノ介入〜ビッグバンド化を経て原点回帰したヘッズのイニチアシヴは
この頃には完全にバーンが掌握


そして…バーンの止まらないエスニック志向は、今度はラテンにまで行き着き
88年4月、結果的にラストアルバムとなる8th
『Naked』[米19位/英3位]を発表
もはやヘッズというバンド形態にこだわらないバーンは
またまたセッションミュージシャンを大量導入
JB・ミーツ・ラテンミュージックな「Blind」など、あまりにカッコよすぎる反面
もはやコレ、トーキング・ヘッズやないな〜
ときっとだれもが感じたはず。
自身の脳内音楽を具現化するには
もはやトーキング・ヘッズというフォーマットではムリ
ということか…
バーンはその後、『Naked』路線まんまのソロ『Rei Momo』でソロ活動を本格化
一方ヘッズとして、サントラ曲「Sax and Violins」[91]や
新曲「Lifetime Piling Up」[92]を含む92年10月発表のベストアルバム
『Sand Iin The Vaseline: Popular Favorites』を発表
そしてそれを最後にトーキング・ヘッズは実質解散

そしてその後…
バンド存続時から続いていた、バーンとほかのメンバーとの確執は
ほかのメンバーがバーン抜きでトーキング・ヘッズを名乗るとか言い出したことから
いよいよ訴訟問題にまで発展
結局、バンドの"トーキング"担当だったバーン抜きで
"The Heads"名義で『No Talking Just Head』[96]を発表
でも、トーキング・ヘッズの"頭脳(ヘッド)"でもあったバーン不在なだけに
"頭カラッポ"で"ノー・トーキング"な、薄っぺら感漂うアルバムでした
そんな後味のワル〜イ終焉を迎えたトーキング・ヘッズでしたが…
02年のロックンロール殿堂入り式典で、約10年ぶりにワンナイト再結成
これでもって、トーキング・ヘッズはようやく成仏することができたのでは…