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冷牟田竜之 Hiyamuta Tatsuyuki
JUGEMテーマ:東京スカパラダイスオーケストラ


 スカパラをアジテイトし続けた、タブーなきモンスターロッカー
  冷牟田 竜之
 HIYAMUTA TATSUYUKI

●本名:冷牟田竜之 ●パート:alto sax, guitars, agitate-man ●生年月日:1962年2月14日 ●出身地:福岡県 ●血液型:O型 ●尊敬するミュージシャン:セルジュ・ゲンズブール ●影響を受けたレコード5枚: 屮襯僖鷸粟ぁ廛┘鵐妊ングテーマ ▲▲薀鵝Ε疋蹈&ダリダ「パローレ・パローレ」 ルースターズ「テキーラ」 ぅ船Дぅ后Get It On」 ゥ爛奪轡紊まやつ「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」

*2007年4月1日の記事より大幅加筆・改訂
ブルートニック結成

冷牟田サンの音楽キャリアのスタートは、ベーシストとして参加した地元・九州のロックバンド"ハイヒール"。YAMAHAのコンテストに出場、九州大会最優秀グランプリを受賞したという同バンド解散後の84年、バンドメイトだった木原龍太郎サン(ex.オリジナルラヴ/kb)らとともに、井上富雄サン(ex.ルースターズ/g,tp)の新バンド"ブルー・トニック&ザ・ガーデン"に参加します。そして87年、ブルートニックとしてメジャーデビュー

Moods For Modern / Blue Tonic [87年]
The Face / Blue Tonic [87年] ※12"シングルコンピ
Guts For Love / Blue Tonic [88年]


東京スカパラダイスオーケストラ加入

ヘタだから一度見て意見をもらえないかと言われて行ったんです。
…ホントにヘタクソだった(笑) でも何か引きこまれる力があったんだよな。
で、このバンド、おもしろくなるんじゃないかと思って。
――― 冷牟田竜之 [07]

そんな冷牟田サンがデビュー前の東京スカパラダイスオーケストラに参加したのは、88年6月のことでした。リーダーのASA-CHANG(perc)が当時小泉今日子サンのヘアメイク担当だったこともあり、その代役でパーカッショニストとしてライヴに参加、やがてスカパラにドップリ携わるようになります。そして同年12月、オリジナルメンバー三上隆義サン(as/俳優・三上博史サンの実兄)の脱退にともないアルトサックスに転向

一方89年4月、スカパラから北原雅彦サン(tb)・NARGOサン(tp)・GAMOサン(ts)・ASA-CHANGサン(perc)も参戦したインクスティック芝浦ファクトリーでのライヴを最後に、ブルートニックは解散

Last Dream In Blue / Blue Tonic [89年] ※ライヴアルバム

ブルートニックが解散した89年、スカパラはミニアルバム『東京スカパラダイスオーケストラ』でインディーズデビュー。そして90年、シングル「MONSTER ROCK」・アルバム『スカパラ登場』でメジャーデビュー(デビュー前後の)小泉今日子サンとの共演効果も煽りとなり、インストバンドにも関わらずアルバムがチャート10位を記録、いきなりブレイク

東京スカパラダイスオーケストラ [89年11月]
スカパラ登場 / 東京スカパラダイスオーケストラ [90年5月]
東京スカパラダイスオーケストラ ライブ / 東京スカパラダイスオーケストラ [91年3月]
ワールドフェイマス / 東京スカパラダイスオーケストラ [91年6月]

しかし93年、3rd『PIONEERS』発表後、ASA-CHANG(perc)が脱退さらに5th『GRAND PRIX』[95年]制作中の95年4月、クリーンヘッドギムラサンが脳腫瘍のため急逝 スカパラはデビュー5年目にしてリーダーとフロントマンを失うという最大のピンチを迎えるわけですが…そのときどきに適したメンバーがイニチアシヴを握るという民主的スタンスでその危機を乗り越えるとともに、スカにこだわらないよりポップで幅広いサウンドを標榜するようになります。

PIONEERS / 東京スカパラダイスオーケストラ [93年3月]
FANTASIA / 東京スカパラダイスオーケストラ [94年4月]
GRAND PRIX / 東京スカパラダイスオーケストラ [95年6月]
トーキョーストラット / 東京スカパラダイスオーケストラ [96年9月]

ポケットに薔薇・さらに革手袋をしてアルトサックスをプレイするクールなルックス、そしてその真逆といえる、「MONSTER ROCK」でのお約束ジャンプに代表される、キレまくりのステージアクト― 初期スカパラにおける冷牟田サンは、フロントマン=クリーンヘッド・ギムラサンと並ぶ存在でした。そしてギムラサン亡き後は、どんどんポップになっていくスカパラの中で一際異彩を放つフロントマン/アジテーターとして活躍することになります

またスカパラ以外の活動としては、デビュー時からのクラブDJ、スカパラホーンズ(=ホーンズ5)としてのセッションワークに加え、94年には別プロジェクト=DAD MAM GOD・ラ族でも活躍



バイク事故で瀕死の重傷、そして奇跡の復帰

そんな冷牟田サンに96年11月、人生最大の転機が訪れます。タイでのツアー中、バイク事故に遭い瀕死の重傷を負ってしまうのです

最初の3ヶ月は上半身を起こすことすらできない。寝返りを打つことも、首を動かすこともできない。そのうえ医者が、左足を切断することになるかも、って言ってるのが聞こえちゃって。もしかしたらバンドに戻れないかもしれない。いやそれ以前に健常者として社会に戻れないかもしれない。死んだほうがいいとさえ思いましたね。地獄でした。
――― 冷牟田竜之 [99]

しかし97年6月、半年間の療養を経て武道館ライヴで(1日のみ)奇跡の復活 『時計じかけのオレンジ』コスプレで「Do You Feel Like Going To DISCO!?」を歌う、このときの冷牟田サンの雄姿はライヴDVD『18540617』で観ることができますが…それ以降のライヴはすべて不参加。

結局スカパラへの完全復活は『ARKESTRA』[98年]からとなるのですが…左足に後遺症が残っているらしく、それ以降のライヴでは座りながらサックスを吹いたり、ライヴの途中でステージを下りたり…という状況以前のような激しいステージアクトは残念ながらもう見ることができなくなってしまいました


produced by 冷牟田竜之

スカパラの現状を何とかしなきゃならない。いちばん最初に俺たちが出てきた、いわゆるアンダーグラウンドって言われるボトムの部分から持ち上げていかないと、そこからの支持がないと俺たちは浮上できない。色んなことを変えたかった。
――― 冷牟田竜之 [99]

レコード会社移籍及びJUSTA RECORD発足、ギムラサンの実弟・杉村ルイサン(vo)加入…98年はスカパラにとって心機一転の一年でした。そしてこの頃からスカパラの陣頭指揮を執るように冷牟田サンは、デビュー以来行ってきたDJ活動の発展形として、同年クラブイヴェント"TABOO"を主催。また99年にはチバユウスケサン(ミッシェル・ガン・エレファント)・中村達也サン(ブランキージェットシティ)らとDJプロジェクト=Roc Brothersを発足するなど、自身のソロ活動も活発化

ARKESTRA / 東京スカパラダイスオーケストラ [98年8月]
JUSTA RECORD COMPILATION Vol.1 [99年7月]
とんでもクライシス オリジナルサウンドトラック / 東京スカパラダイスオーケストラ [99年7月]


しかしそんな冷牟田サンの意気込みとは裏腹に、99年2月ルイサンが早くも脱退さらに5月にはオリジナルメンバー・青木達之サン(ds)の不慮の死…スカパラはまさにグループ存続にかかわる最大の危機に直面!! が、冷牟田サンはひるむことなく「男気」をテーマにさらにグイグイ主導権を発揮 "スカパラの若大将こと冷牟田竜之主導で録音された、男汁大放出のマキシシングル"(←帯キャッチコピー)「火の玉ジャイヴ」[99年]、今やスカパラの定番曲となった「ルパン三世'78」(『PUNCH THE MONKEY! 2』[99年])もこの時期に冷牟田サン主導で録音されたもの。さらに青木サンの急逝を受け、急遽ツアーのサポートを務めた中村達也サンを連れて来たのも冷牟田サン。グループ自体が揺れに揺れまくっていた激動期、冷牟田サンは自ら陣頭指揮を執ってグループを強力に仕切り直していきます。

SPEED KING / SPEED KING
00年2月発表 / produced by 冷牟田竜之・田中知之
99年、冷牟田サンが田中知之サン(FANTASTIC PLASTIC MACHINE)と「とてつもなくバカでロックなことを大真面目にやって世の中の度肝を抜く」と結成した、スカパラ×FPM×サワサキヨシヒロサンらによる総勢14名からなる(バレバレ)覆面バンド。冷牟田サンのDJ定番曲=マッドネス「ONE STEP BEYOND」、そしてど直球すぎる選曲=ディープパープル「SMOKE ON THE WATER」(当初はTレックス「21st Century Boy」も候補だったらしい)などなど…スカパラがバンドアレンジで一度仕上げた楽曲を、田中サンがDJ的発想でスクラップした、奇跡の爆音フロアミュージック

FULL-TENSION BEATERS / 東京スカパラダイスオーケストラ
00年7月発表 / produced by 冷牟田竜之・東京スカパラダイスオーケストラ
冷牟田サン完全主導で制作された、スカパラの再デビュー作ともいえる重要作(8th)。これまでのカラフルなスカバンドから一転、タイトル通り「フルテンションでビートを刻む男たち」によるツートーンなガレージパンクスカバンドとして再生深作欣二監督へのオマージュ「フィルムメイカーズ・ブリード〜頂上決戦〜」、クラッシュ「Brand New Car」まんまの「Howlin' Wolves」など、冷牟田サン楽曲が4曲も収録。さらにあの「燃えよドラゴン」のガレージパンクな男気カヴァーも

Gunslingers / 東京スカパラダイスオーケストラ
01年3月発表 / produced by 東京スカパラダイスオーケストラ
その日その日のテンションで曲順・曲目をバンバン変える、開演ギリギリまでリハーサルを続ける、その日にできた新曲を即刻演る…という、アルバム同様冷牟田サンがグループをグイグイ引っ張って敢行したライヴハウスツアー「Gunslingers」から、ベストテイクを収録したライヴアルバム。冷牟田サンの新曲「Thanks for a lot of comin'」「The king of the MOSH PIT」含め、アルバム以上にロックモード全開です。「銃爪を引く男たち」という意味のこのタイトルはもちろん、ガンマニアでもある冷牟田サン命名。

スカパラとはどういうものなのかを、多面的にではなく一極集中みたいな
スカパラはこうです!みたいなのをやりたくて作った。
それまでに色々やりすぎて拡散してたイメージを払拭したかった。
――― 冷牟田竜之 [07]


これらショック療法の如き冷牟田サン主導の活動を通じてグループとしての筋力を回復したスカパラは、田島貴男サン(オリジナルラヴ)・チバユウスケサン(ミッシェルガンエレファント)・奥田民生サンといった「男気」ヴォーカリストを迎えた9th『Stompin' on DOWN BEAT ALLEY』[02年]以降、10th『HIGH NUMBERS』[03年]・11th『ANSWER』[05年]・12th『WILD PEACE』[06年]を発表、再びポップ路線をまい進していくことになります。


スカパラ脱退

そして………08年、13th『Perfect Future』とそのツアー終了後、冷牟田サンはまさかのスカパラ脱退を発表 理由は足のケガの治療に専念するためということでしたが…



最後に…00年発表のDVD『SKA EVANGELISTS ON THE RUN』で、スカパラのメンバーが冷牟田サンのことをそれぞれこう一言コメントしています。

スピードスター (青木達之)
クールな男ですね (NARGO)
走り続ける車、みたいな (谷中敦)
ドリブラ―ですね (川上つよし)
頑張り屋さんじゃないですかね (北原雅彦)
一匹 (大森はじめ)
速い (沖祐市)
興行師って感じですね (GAMO)

ちなみにこのDVDで冷牟田サンは、「自分にとってスカパラとは?」という質問に
自分自身…ですね
…と答えています。スカパラを脱退した今となっては複雑すぎるコメントですね


 冷牟田竜之 DISCOGRAPHY
| ***東京スカパラダイスオーケストラ | 00:00 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
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久しぶりに冷牟田さんの事読んで泣きました。
ライブでのカッコ良さ忘れられません。
| aworu | 2012/10/30 5:28 AM |










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